MBHCC E-1
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西村 章

スポーツ誌や一般誌、二輪誌はもちろん、マンガ誌や通信社、はては欧州のバイク誌等にも幅広くMotoGP関連記事を寄稿するジャーナリスト。訳書に『バレンティーノ・ロッシ自叙伝』『MotoGPパフォーマンスライディングテクニック』等。第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞と、2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞した『最後の王者 MotoGPライダー・青山博一の軌跡』は小学館から絶賛発売中(1680円)。
twitterアカウントは@akyranishimura

2000年初開催、あの激闘から12年。嗚呼、エストリルおまえもか

 不況やユーロ危機などの影響で「おそらく9割方開催されないだろう」と言われていた今年のポルトガルGPだが、大方の予想を覆して開催が決定したのは2月中旬。レースは三日間総計で8万7148人を集めて無事終了した。前戦スペインGPのヘレスサーキットが18万4160人であったことと比較すると、動員数は10万人も少ない。

 だが、昨年(2011)との比較で見てみれば、
ヘレス:23万3932人→18万4160人(△49772、22%減)
エストリル:6万2114人→8万7148人(+25034、40%増)

 とまったく正反対の傾向を示していることがわかる。

 これにはもちろんそれなりの理由があって、エストリルの場合はグランドスタンド12〜24ユーロ、最安値の入場料は2ユーロ、という破格の料金設定が大きな追い風になったと思われる。そう考えれば、この観客数は「エストリル、やるじゃん」と評価するに価する実績といっていいだろう。

第3戦ポルトガルGP
ものすごい強風が吹くことでも有名なコース。そういえば昨年は雷も落ちた。

 この動員増も印象的だが、それ以上に驚異的なのは、前週の第2戦ヘレスのえぐるような観客数減少だ。20万人を下回るだけでも「ヘレスにしてはあり得ない」ことなのに、その下げ数が約5万人というのは「ごついなあ」というほかない。簡単にいってしまえば、甲子園球場一杯分の観客が減った計算だが、この第2戦に先だち、偶然にもスペインの1−3月期の失業率が発表されている。それによると、現在の統計方式になって以来最悪の24.4パーセント(≒4人にひとりが失業者、ということ)で、若年層の失業率に至っては50%に達するともいう。であるとすれば、この観客動員数の下げ幅もむべなるかな、というべきで、おそらくはこの18万人の観戦客のなかにも相当数の失業者がいたのではないかという気もする。

 いずれにせよ、ことほど左様に欧州経済は特にイベリア半島で逼迫を極めている、というわけだ。

 で、入場料を大幅値下げして約40パーセントの観客動員増を達成した第3戦の舞台エストリルサーキットだけれども、来年こそは本当にもう開催されないだろうな、というのが、現場での何となくのコンセンサスになっている。もちろん、開催見送りという正式な発表があったわけではないけれども、2013年シーズンにはイベリア半島で開催するレースを3戦に減らしたいというレース主催者(DORNA)の意向も漏れ聞こえており、この3戦の中にエストリルは含まれないであろうというのが大方の推測だ。つまり、今回の第3戦がエストリルとしてはおそらく最後のMotoGP、というわけで、そう考えるとある種の感慨も憶えないではない。

 リスボンから車で30分程度の距離にあるこのサーキットの竣工は1972年、とけっして新しい施設ではないが、MotoGPを開催するようになったのは2000年からと比較的最近のことだ。今年のレースは13回目。初開催時の500ccクラス優勝者はギャリー・マッコイ。レッドブルヤマハでYZR500をブリブリにドリフトさせまくっていた頃だ。「あー、そんなこともあったなあ」というあなた、かなり年季の入った観戦歴の持ち主ですね。

 だが、日本人にとってこの年のエストリルは、250ccクラスのレースのほうが遙かに強烈な印象を残しているかもしれない。2000年は、中野真矢とオリビエ・ジャックが熾烈なチャンピオン争いを繰り広げていた年で、終盤戦のとば口にさしかかった第12戦ポルトガルGPでも、中野はレース序盤からトップ集団につけていた。が、4周目に目の前で1台がクラッシュ。転倒したマシンを避けきれなかった中野もこのマシンに乗り上げる格好で転倒リタイア。あの瞬間(日本時間推定20時38分頃)は、テレビの前で「あ゛〜!!」と大声を出した人が多かったにちがいない。それほど突然であっけないアクシデントだった。このレース、ジャックは2位でチェッカーを受けている。そして、最終戦までもつれ込んだチャンピオン争いでは、フィリップアイランドの最終ラップ最終コーナーからの立ち上がり加速勝負でジャックが中野に競り勝ち、チャンピオンを獲得した。中野は0.014秒差で2位に甘んじ、王座を逃してしまった。あくまで<たら・れば>にすぎないものの、「もしもあのときポルトガルGPで転倒していなければ……」と言及されてしまうのもああいう結果に終わった以上しかたのない話で、それくらいにあの年のエストリルは日本人にとって印象深かったレースということでもある。「そうだよなあ、そんなこともあったよな〜」と懐かしい思いに浸っているそこのあなたはやはり、相当に年季の入ったレースファンですね。

第3戦ポルトガルGP
第3戦ポルトガルGP
唯一勝っていなかったエストリルを制覇。これにてスタンプラリー完了。
第3戦ポルトガルGP
第3戦ポルトガルGP
得意のコースだったものの「最後は順位キープに徹した」。
第3戦ポルトガルGP
第3戦ポルトガルGP
予選9番手、決勝7位。「これがが現状での自分たちのポテンシャル」。

 ともあれ、そんな様々な出来事を演出してきたエストリルサーキットでの(おそらくは)最後のレースの優勝者が、現18戦のカレンダー中、唯一ここでの優勝経験がなかったC・ストーナー、というのもなにやら今の勢力図を象徴しているように思えなくもない……、といいながら来年もグランプリが開催されたりして。

 2位以下の結果はこちら(↓)をどうぞ。次戦は第4戦フランスGP。バレンティーノ・ロッシがドゥカティ移籍後唯一表彰台を獲得したコースだが、今年のレースで表彰台を獲得する可能性は「ひっじょーに、難しいと思う」と今回のレース後に語っておりました。

 というわけで、ではまた。

第3戦ポルトガルGP 第3戦ポルトガルGP 第3戦ポルトガルGP
今回からまたもや新しい車体に。セットアップもまたもややりなおし。 厳しいMotoGPの洗礼を受けつつ、一歩ずつ前へ。 決勝では突然のギアトラブルで、思いどおりに全然走れず……。

■第3戦 ポルトガルGP
5月6日 エストリル・サーキット 晴
順位 No. ライダー チーム名 車両
1 #1 ケーシー・ストーナー レプソル・ホンダ・チーム HONDA
2 #99 ホルヘ・ロレンソ ヤマハ・ファクトリーレーシング YAMAHA
3 #26 ダニ・ペドロサ レプソル・ホンダ・チーム HONDA
4 #4 アンドレア・ドヴィツィオーゾ ヤマハ・テック3 YAMAHA
5 #35 カル・クラッチロー ヤマハ・テック3 YAMAHA
6 #19 アルバロ・バウティスタ ホンダ・グレッシーニ HONDA
7 #46 バレンティーノ・ロッシ ドゥカティ・チーム DUCATI
8 #11 ベン・スピース ヤマハ・ファクトリーレーシング YAMAHA
9 #6 ステファン・ブラドル LCRホンダ HONDA
10 #8 エクトル・バルベラ プラマック・レーシングチーム DUCATI
11 #69 ニッキー・ヘイデン ドゥカティ・チーム DUCATI
12 #41 アレックス・エスパロガロ アスパーチームMotoGP ART(CRT)
13 #14 ランディ・デ・ピュニエ アスパーチームMotoGP ART(CRT)
14 #51 ミケーレ・ピロ ホンダ・グレッシーニ FTR(CRT)
15 #9 ダニロ・ペトルッチ イオダ・レーシングプロジェクト IODA(CRT)
16 #17 カレル・アブラハム カルディオンABモトレーシング DUCATI
RT #77 ジェームス・エリソン ポール・バード・レーシング ART(CRT)
RT #68 ヨニー・エルナンデス BQR BQR-FTR(CRT)
RT #54 マティア・パシーニ スピード・マスター ART(CRT)
RT #22 イバン・シルバ BQR BQR-FTR(CRT)
第2戦スペインGP
※第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞と、2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞した西村 章さんの著書「最後の王者 MotoGPライダー 青山博一の軌跡」(小学館 1680円)は好評発売中。西村さんの発刊記念インタビューも本誌に引き続き掲載中です。

※話題の書籍「IL CAPOLAVORO」の日本語版「バレンティーノ・ロッシ 使命〜最速最強のストーリー〜」(ウィック・ビジュアル・ビューロウ 1995円)は西村さんが翻訳を担当。ヤマハ移籍、常勝、そしてドゥカティへの電撃移籍の舞台裏などバレンティーノ・ロッシファンならずとも必見。好評発売中。

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