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1970年代に入ると日本経済も完全に復興、世界に冠たる経済大国へと駆け上っていく。実用車から脱皮したスポーツバイクは憧れの存在から手の届くものとなり、試乗も拡大していた。ある意味でバイクの象徴ともいえたメッキタンクにゴムラバーのスタイルが、すっきりとしたデザインへと変化していったのもこの時期。スポーティなスタイリングに合わせてエンジンも一新、より高性能、高機能化が始まった。しかし、そんなイケイケムードは1970年代前半に急減速する。1973年中東戦争の影響により発生した「オイルショック」により、石油価格の高騰が日本経済を直撃。また、公害や交通事故が社会問題となり始めていたこともあり、パワー一辺倒だった2ストロークスポーツも、安全性や静かさがクローズアップされるようになっていく。
それでも1970年代は人口も増加し、バイクの国内販売数も輸出も右肩上がりに成長した時代。4ストロークで我が道を行くホンダ、2ストローク勢も市販レーサーをベースにした350ベースのヤマハ、250専用設計を貫いたスズキ、そして世界初の空冷3気筒エンジンを開発したカワサキと、それぞれの2Qが強く個性を打ち出していた時代でもあった。
YD、YDSシリーズは「2ストロークスポーツはヤマハ」のイメージを強烈に植え付けることに成功したが、1960年代の後半になると時代の流行は、大きさや豪華装備の指向が強くなっていった。そんな方向性からスポーティさをメインとする原点に戻したのが1970年発売の、史上最強の市販レーサーと呼ばれたTD-2のノウハウをフィードバックしたニューモデルRX350だった。エンジンはピストンバルブの5ポート、フレームもダブルクレードルでもちろん共に完全新設計。軽量コンパクトにまとめられた車体とパンチあるエンジンで、ナナハンに迫る加速性能を誇った。350をベースにボアを縮小したDX250も同時に発売され、後にRDシリーズへと発展、1970年代のヤマハ空冷時代を駆け抜けた。