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一枚の写真がある。ひとりの男が軽く笑みをうかべ、長い影がその前に射している。46と黄色いペイントで描かれたグリッドに立つその人物は、40歳の誕生日を迎えたバレンティーノ・ロッシだ。大きな節目の年を迎えた彼が、三週間後にカタールで優勝候補の一角として24回目の世界選手権開幕戦を迎えるという事実は、まるで奇跡のような感すらある。ゼブラゾーンに届くほど長く伸びた影は、彼のキャリアもまた日没が近いことの象徴でもあるだろう。しかし、光を照り返す彼の表情には、戦いの場へ戻るよろこびが内面から滲み出ている。バレンティーノ・ロッシが目指すのは、その尋常ならざるレースキャリアを、愉しみながらあともう少し延ばしてゆくことだ。終着点は、まだ見えない。
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―バレンティーノ、あなたへの誕生日プレゼントに何を贈ればいいのか、じつはちょっと困ってるんですよ。ほしいものは何だって簡単に手に入れてしまうでしょうからね。
「プレゼントを自分で決めるのは、あまり得意じゃないんだよ。かなり考えてもいいものが思い浮かばなくて、いつも困ってしまうんだ。でも、僕の友人たちはいつも何かしらサプライズを用意してくれるんだ」
―40代のバレンティーノ・ロッシになってみて、どんな気分ですか?
「上々だよ。いろんなことを達成してこの年齢を迎えることができたのは、ハッピーだね。日々の生活では、なにも問題を感じない。むしろ、気分がいいくらいさ。でも、競技のうえではやっかいだ。残念ながら、MotoGPライダーとしては僕は年寄りだからさ。まだまだ何年もレースを続けていきたいけど、おそらくそうはならないだろう」
―今までの人生のことで、頭の中でよく思い描くのはどんなシーンですか?
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「現在のことだね。あまり懐古趣味はないから、昔のことについて考えるのは好きじゃないんだ。頭に浮かんでくるのは今後のことだよ。開幕戦のカタールとかね。そのときの夜の様子を、今からくっきりと思い浮かべることができるよ」
―たいていの子供は宇宙飛行士や警官、消防士などに憧れるものですが、ライダーになりたいと思う前のあなたは、どんな大人になりたいと思っていましたか?
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「トラックの運転手が子供の頃の夢だった。なぜだかわからないけど、トラックを運転したかったんだ。その職業の大変さまでは、理解していなかったんだけどね」
―あなたのお母さんのステファニアは、もしあなたが他の人生を選択していたとすれば、科学者になってほしかったと思う、とおっしゃっていました。
「僕を信頼してくれて感謝しているよ。果たして自分がどんな科学者になっていたのかわからないけど、難病の治療法を発見するような貢献をできていれば素敵だっただろうね」
―御父君のグラツィアーノは、あなたは10年前から老化が止まっていると言っていましたよ。
「そんなに変わってはいないよね? そこは気の持ち方次第で、どんな自分でありたいと自分が考えているか、によるところも大きい。僕はあまり懐古趣味がないから、昔のことをくよくよ考えたりしないし、自分がどんどん衰えていくとも思わない。どちらかといえば、前向きに考えるほうだね。たとえここから先はどんどん厳しくなっていくとしても」
―自分が今までの人生で下してきた決断は、すべて正解だったと思いますか?
「いや、そうは思わないけど、どうだろうね。人生の折々で良い決断だったこともあると思う。でも、たとえばサッカーでもなんでもいいけど他のスポーツに進んでいたとすれば、それほど成功していなかっただろうと思うよ」
―初めて新聞記事に載ったときのことを憶えていますか?
「96年に初めてグランプリにやってきたとき、この競技は圧倒的な人気だった。あの頃に戻ると、僕はなによりまずグラツィアーノの息子だったよね。当時の記事には、キビシい無茶な小僧だ、と書いてあったのを憶えているよ」
―ロッシ選手のことに関しては多くの人がよく知っています。しかし、40歳のバレンティーノとは、いったいどんな人物なのでしょうか。
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「僕は幸運な人間だと思うよ。父、母、きょうだいをはじめ、家族に恵まれているからね。これは自分にとってとても意味のあることなんだ。今は40歳だけど、亡くしたのはグラツィアーノの両親だけ。家族はとてもいい関係で、それこそが財産だよ。つきあいの長いたくさんの古い友人たちにも恵まれている。僕は幸せ者だよ」
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―二〇世紀初頭の俳優、ジョン・バリモア(訳注:『グランドホテル』等、数々の映画に出演した二枚目俳優。ドリュー・バリモアの祖父)は、「人は夢破れ、後悔をしたときに老いる」と言っています。あなたの話を聞いていると、いまだにとても若々しいですね。
「うん、確かにそうだね。もちろん僕だって後悔はするし、こうじゃなければよかったのにと思うこともある。でも、そんなふうに考えることは少ないよね」
「楽観的な人間だから、あれもこれもできると考えてしまいがちなんだけど、いざ現実にやってみるとその半分くらいしか達成できなかったりする。でも、それが教訓にならなくて、次のときもまた同じようなことを繰り返してしまうんだ」
―あなたをよく知るある人物が、こんなことを言っていましたよ。「バレンティーノが特別なのは、自分ではロッカーだと思っているようだけれども、じつは彼はジャズプレイヤーだからだ。実生活は様々な要素のごった煮だ。ジャズプレイヤーはそのすべてを捉えて、頭の中にある音楽を実体化させていく。そしてその創造物は、毎回、異なっているんだ」とね。
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「誰が言ったのか知らないけど、素晴らしいね。とてもうれしいよ。ジャズを好きな人はこだわり屋が多いから、ジャズについても特別な思い入れがあるんだろうね。あいにくその方面の音楽にはあまり詳しくないけど、でも僕はロッカーじゃないという指摘はそのとおりだと思う。うん、ぼくはかなりジャズっぽい人間なんだ」
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―アルド・ドゥルディなんです、今の言葉を言ったのは。彼がセパンテストのヘルメットをデザインしたとき、あなたがとても喜んでくれた、と言っていました。あなたのその豊かな感情が、今日まで現役を継続している重要なカギなのかもしれませんね。
「そうだと思う。何度繰り返しても、本当に好きなことには決して飽きがこないんだ。これからまた新たなシーズンが始まる、と思ってうんざりしたことなんて一度もない。これから起こることを考えると、むしろわくわくしてくるよ。過去の様々な波瀾万丈を思い返せば、この先に待ち受けていることに嫌気がさすわけがないよ」
―ホルヘ・ロレンソ選手にとってあなたは、弱点のみつからないライバルで、しかも最も打倒するのが難しい相手のようです。
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「彼にはとても感謝をしているんだ。昔も今も、ずっと強力な好敵手だからね。さらにうれしいのは、そうやって戦うことで世の中のたくさんの人々を、僕が大好きなこの競技に惹きつけることができる、ってことなんだ」
―あなたにはたくさんのライバルがいましたね。現在のあなたを形づくるうえで欠かせない存在だったのは誰ですか?
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「まずはやはり、ビアッジだろうね。イタリアで僕たちが有名になったのは、彼とのライバル関係があったからだしね」
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―様々な時代に、いろんな優れたチャンピオンたちと戦ってきましたね。
「僕のレース人生で最大のライバルだった選手たちをこのあいだ数えてみたら、6人いたよ。ビアッジ、ジベルナウ、カピロッシ、ストーナー、ロレンソ、マルケス。ニキ・ラウダとジェームス・ハントは一対一の対決でも伝説になったのに、僕の場合は6人なんだからね」
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―レース人生で一枚だけ写真を選ぶとすれば、何を選びますか?
「ウェルコム(2004年にホンダからヤマハへ移籍した初戦で優勝を飾ったレース)で、レースの後にバイクを停めてその隣に座ってるヤツかな」
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「現実は直視しなければならないよね。10~15年前の僕はコース上で誰よりも速かったけれども、今はそうじゃないときのほうが多い。それでも、しっかりトレーニングして体が仕上がって集中できれば、今でも誰より速く走れる自信はあるよ」
―様々なものを勝ち得て40歳という年齢に到達した現在、なぜ今もいろんなものを犠牲にしてまで自分の子供のような年齢の選手たちと戦い続けるのですか?
「うん、いい質問だね。なぜならそれは……レースは麻薬のようなものだからだと思う。とにかくそれが大好きでほしくてたまらなくて、他のものではとても満足できないし、それがなければ退屈で気分も良くない、と、そういうことさ。家にいなきゃならないなんて、考えるだけでとてもガマンできない。『わかったよ、もうすべてやり尽くした。引退するよ』なんて言えるほどのところまで、僕はまだ到達していないんだ」
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―そこにはレースを辞めることへの恐怖、もあったりするのですか。
「恐怖、ねえ。どうだろう、そんなふうに考えたことはないな。辞めることを怖いとは思わないよ。その日は、むしろ突然やって来るんだろうね。でも、走れる限りは続けていたいね」
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「とても誇らしく思っているよ。立派なプロジェクトで、なにより自分でもびっくりしているんだ。思っていた以上に成功しているからね。リザルトという意味でもそうだし、充足感、達成感という意味ではなおさら意義が大きい」
―弟のルカは、次代のチャンピオン候補として非常に注目されていますね。彼とは18歳も年齢が離れていますが、あなたとの関係性はどんなふうに変化してきましたか?
「ルカとはとてもいい関係だよ。昔から仲は良かったけど、彼が13~14歳くらいになるとさらに親密になってきたんだ。向こうもレース活動を始めたしね。サーキットにルカがいて、ともにレースをし、同じような情熱を分かち合うことで、親密さはさらに増している。18歳離れているけど、年の差は感じないね。彼が生まれたとき僕はすでに大きくなっていたけれども、とても愉しい時間を一緒に過ごせているよ」
―12月に肩の手術を実施した後にヘレスで行ったMoto2のテストは、良かったようですね。
「いい走り出しは大切だよね。体調も良く、強さを発揮できている。今年は他の選手たちとチャンピオン争いをしてくれると思うよ」
―少なくともこの10年、あなたはもう終わりだとずっと言われていましたよね。気になるものですか?
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「(笑)。最初にそう言われてるのを耳にしたのは、2007年だったな。そのときすでに最高峰クラスでたしか5回のチャンピオンを獲っていたんだけどね。世の中の人たちは、頂点を極めたライダーは、あとはひたすら下り坂を転がっていくだけ、と考えがちなんだろうね。でも、僕はその後も2回、世界チャンピオンになっているんだけどね。そしてそれから10年経って、僕は今もここにいる。笑っちゃうんだけどさ、僕はレースでミスをすることもあればテストで速くないときもあるけど、皆は『もっとガンバレ』とは言わないんだ。僕が4位で終わったら『いい加減に引退しやがれ』って言うんだよ。なんだか極端だよね」
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―10回目のタイトルを取れていないのは残念ですか。あるいは、まだ可能だと信じていますか?
「両方だね。きっとできると強固に信じてもいるし、獲れていてもおかしくなかったという点ではとても残念だ。最終戦でタイトルを逃したのは二回。うち一回は転倒だった。ランキング2位で終えたシーズンは何度もある。そう考えると、すでに10回タイトルを獲れていてもおかしくはなかった。だからこそ、今も挑み続けているんだけど」
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―もし過去に戻ることができて、失敗を取り消すことができるとすれば?
「うーん……。2006年シーズンの最終戦バレンシアで、もっと落ち着いて走って転倒をしなければ、チャンピオンを獲れていただろうね。自分のミスだったのかどうかよくわからないことなら、本当にたくさんあったよ。ドゥカティに行ったこととか、ホンダに残留せずヤマハへ移籍したこともそうかもしれない。あるいは、2015年の最後に起こったことも。僕がタイトルを逃した年だね。でも、本当に自分の失策だったのは、2006年、タイトルを獲れていたはずのときだよ」
―ドゥカティについていえば、もし今後10年間現役を続けることができるとすれば、もう一度挑戦してみようと思いますか?
「今、ドゥカティに移籍するかって? いやあ、どうだろうか。ドゥカティで1勝もできなかったのはすごく残念だけど、時期がよくなかったんだね。僕もドゥカティも、ちょっとアンラッキーだったんだよ」
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―間近に迫ったカタールの開幕戦から、あなたの最後の二年契約がスタートします。頭の中では、さらにもう二年、と考えているのですか?
「いい質問だね。正直なところ、自分でもわからないんだ。最後になるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。シーズンが始まってもいないうちから、終わるときのことを話すのもヘンだよね。まだ自分でも決めていないんだ。決めたら、そのときに話すよ」
―ステファニアは、よく正夢をみるのだと言っています。最近見た夢では、2019年のM1はとても速いそうですよ。
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「それはすごい。本当なら素晴らしいことだね。戦闘力の高いバイクこそ、まさに今の僕たちに必要なものだからね。最初のテストではいろいろと試せて非常にポジティブだった。雰囲気もいいし、皆ががんばって仕事に取り組んでいる。今年のヤマハはやる気に満ちているんだ。ここからスタートして、問題の解決に取り組みながら差を詰めていく。時間は少しかかるかもしれないけどね」
―女性のことについても訊ねさせてください。いつも素敵なガールフレンドがいますよね。それはあなたが素敵で好感度も高くてスマートな、いい男、だからですか。それとも、ライダーという存在が女性を惹きつけるのでしょうか??
「両方だね。ライダーでありバレンティーノ・ロッシであるということが、その理由なんじゃないかな。でも、僕は魅力的な男だと思うよ。ナイスガイで、女の子たちは僕といると愉しいと思ってくれているんだろうね」
―ロッシのガールフレンドであることは、大変なんでしょうね。
「ある意味じゃ、たしかにそうだね。だって、多くの人たちと僕を共有しなきゃいけなくて、独り占めはできないんだから。一緒に食事をしているときだって、絶対にふたりっきりにはなれないからね。ファンは近寄ってくるしウェイターは写真を撮らせてくれって言ってくるし、レストランの主人はバイクのことを聞きたがるし。しかも僕はノーと言わないからね。そういうことには気さくに応じるし、苦痛には思わないたちなんだ」
―何年か前に、子供を持つには遅すぎると言っていましたが、あれから考えは変わりましたか?
「赤ん坊はほしいな。憧れてはいるよ。とはいえ、時間はもうあまりないか。あと二、三年くらいは大丈夫かな」
「わからないな、自分がどんなふうになるのか。あまりいい父親にはなれないかもしれない。でも、がんばると思うよ。自分には良き父たるべき資質がないとしてもね」
―グラツィアーノは良いおじいちゃんになるでしょうか?
「(笑)。賭けるなら、ステファニアのほうだね。信頼できるし、すごくいいおばあちゃんになると思う」
「もちろん。交際して一年だし、とても心地良いんだ。息が合うんだね。彼女も焦っているわけじゃない。じっくりと付き合っていくよ」
―バイク乗りにとってタヴリアは聖地で、毎日のようにファンが巡礼に訪れます。タヴリアから見たイタリアはどんな眺めですか?
「僕は世界じゅうを旅してきたけど、イタリアを変えたいとはこれっぽっちも思わない。僕たちは世界で一番クールなところに住んでいるんだ。なかでも、ここは最高さ。本当に大好きだよ。イタリアの抱えている問題は、昔から同じで、すごく大きい可能性を持っているんだから、もうちょっと良くできるんじゃないか、ってことだね」
―政治に関心もあるようですが、よくニュースをチェックしているのですか?
「40歳なりに見ているよ。そんなに好きというわけじゃないけど、理解するように努力をしている。腹の立つニュースもあるけど、かといって専門的な知識があるわけでもないしね」
「まずは、まだしばらくの間はバイクに乗る。数年後には、いま運営しているレース活動に真剣に取り組むことになるだろう。で、父親になって家族をつくるかな。あるいはこのまま、ずっと今みたいに続けていきたいよね」
―普通は誕生日を迎えた人がプレゼントをもらう立場ですが、逆に何かファンへプレゼントをしてもらえますか。
「ハハハ。なにがいいだろう。ファンの人たちと僕を見て愉しんでくれる人々へ贈るプレゼントは、僕が全身全霊を賭けて走り続けること、かな。それが、ファンの皆さんに喜んでもらえることだと思うよ」
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【パオロ・イアニエリ(Paolo Ianieri)】
国際アイスホッケー連盟(IIHF)やイタリア公共放送局RAI勤務を経て、2000年から同国の日刊スポーツ新聞La Gazzetta dello Sportのモータースポーツ担当記者。MotoGPをはじめ、ダカールラリーやF1にも造詣が深い。
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