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1878年に創立(当時は川崎築地造船所)とカワサキ(川崎重工業)の歴史は明治時代に遡るが、現在の会社名が表すように船舶、航空機、鉄道車両などの重工業製品がメインであり、小型の民生品であるバイク(エンジン単体)の生産を始めたのは敗戦後の1949年から。自社製品としてではなく、現在は消滅してしまった二輪メーカーにエンジンの供給をしていた。1953年に初めてカワサキマークを付けた川崎号(空冷2ストローク単気筒58ccのスクーター)を岐阜製作所で200台生産した。翌年グループ会社の川崎明発工業(明石発動機の略。現在のカワサキモータースジャパンの前身)が完成車の製造販売を開始するにあたり、現在の明石工場においてメイハツブランドのバイク生産を本格的に開始した。明発は1960年にバイクの製造権をカワサキ(当時は川崎航空機工業)に譲渡して、販売専門会社となったことでいよいよカワサキブランドのバイクが登場する。 最初の製品は、1960年の東京モーターショーで発表された125cc単気筒のカワサキ125ニューエース(B7)と、モペッドタイプのカワサキペット(M5)であった。4ストロークの大型車はメグロとの提携により生産したが、2ストロークの小型モデルは自社で開発。1962年に誕生したB8(125cc単気筒ピストンバルブ)は、優れた耐久性と扱いやすいエンジン特性で人気となった。とはいえ秘めたポテンシャルは高く、このB8がベースとなり、カワサキにレース初優勝をもたらしたモトクロッサーB8Mや、ツーリングモデルB8Tなどのバリエーションが生まれた。 1964年にはボアを5mm拡大したカワサキ2ストローク初の軽二輪車となる150 B8S(148cc)が誕生、さらにボアを62mmに拡大して排気量を169ccにアップし、ラバーのないタンクを装着したストリートモデルのF1(1965年)、輸出仕様のトレールモデルF1TR(1965年)など製作された。
1965年の東京モーターショーで発表されたのは、ロータリーディスクバルブを採用した新エンジンのB1T(125cc単気筒)。Tの名が示すようにツーリングモデルでダブルシートを装着していた。翌年には分離給油方式のスーパールーブを追加したB1L、B1TLが追加された。 このB1の車体に排気量を169ccにアップしたエンジンを搭載したモデルがB11。B1と同じようにB11L(国内仕様は175スタンダード)、B11TL(国内仕様は175ツーリング)がラインアップされた。125クラスの車体に17馬力エンジンを搭載したB11は、一見実用車然としたデザインながら16から18インチホイールにアップしたB11TLは、最高速度130km/hという快速モデルであった。 海外向けにはツーリングモデルのF2TL(1966年)、ブロックタイヤのトレールモデルF2TRL(1965年)などのバリエーションが主に北米に輸出された。1968年にはアップマフラー、セルを装備したスクランブラータイプのF3(輸出車 北米仕様にはbushwhackerの名称が付けられた。やぶを切り開くという意味だが、南北戦争時代の南部ゲリラ兵という意味もあるようだ。当時のカワサキ輸出車は、今から思えば結構刺激的な名称が付けられていた)。スクランブラーはこの後、本格的なトレールモデルへと発展的解消を遂げていく。
さらにこの年、新たにロータリーディスクバルブの2気筒247ccエンジンも開発された。新エンジンを搭載した250 A1は北米に向けSAMURAIのペットネームで輸出され、快速車として人気を得た。アップマフラーのスクランブラータイプのA1SSや、チューンナップされた市販レーサーA1R、さらなるパワーアップを求める声に応え、338cc版のA7といったバリエーションモデルも次々に誕生した。1969年、タイヤや外装を変更したA1スペシャルへとモデルチェンジをおこない、1970年代初頭まで販売され、カワサキ2スト250スポーツの礎を築いた。 国産二輪車の高速高性能化が進み輸出も本格化したこの時代、日本製の工業製品は「安かろう悪かろう」から「安いし、そこそこ速いし、壊れない」というように、メイド・イン・ジャパンイメージが変わりつつあった。