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1955年、日本楽器から分離独立し、ヤマハ発動機が発足。同年発売を開始した第一号車が赤とんぼの愛称で親しまれたYA-1(125cc単気筒)であった。このYA-1をベースに127ccに排気量をアップしたヤマハ初の軽二輪車がYB-1。これは暫定的なもので1956年には、オリジナルデザインを加えた175ccのYC-1が登場した。 ここまでは基本的に外国車をお手本としたが、ヤマハ初の250ccとなるYD1は、GKデザインの手によるオリジナルデザインで登場。特徴的なスタイルのタンクは「分福茶釜」の愛称で親しまれた。その後、初の海外レースや国内レースの成果をフィードバックしたよりスポーティなYDS1が登場すると、YD系はフラッグシップの座を譲りツーリングモデル、ビジネスモデルとして落ち着いたデザインに変更。メッキタンク付のYD2、ホワイトリボンタイヤのYD3と続いた。
今や伝説の浅間火山レースや、ヤマハが初めて挑戦し、日本車初の入賞を果たした海外レースのカタリナGPを走ったワークスレーサーYD1AはYD1がベースだが、ショートストロークに変更し、ツインキャブ、5速ミッションなどを装備したいわばワンオフで市販車のYD1とは別物であった。 このレーサーで得たノウハウをフィードバックして製作されたYD1Aの公道版ともいえるのが、1959年に登場した250S。すぐにYDS1へと車名変更されたこのモデルの最高出力20馬力、最高速140km/hのスペックは当時の市販レーサーと遜色なく、装備面でも国産車初の速度、回転、距離計などを一体化したメーターや鮮やかなメタリックカラーも鮮烈で、ヤマハ=レース直結を強く印象づけた。 1962年にはさらにパワーアップした高速型のYDS2となり、YDS2の車体にYD3のエンジンを搭載した廉価版YDT1も登場。1964年には分離給油方式オートルーブを追加したYDS3へ進化、1967年、フラッグシップモデルR1(350cc)の登場にあわせ、同様のスタイルでセルを装備したDS5-Eへモデルチェンジしスポーティさはややスポイルされたのだが、最終的には1969年、再び洗練された軽快なデザインを取り戻したDS6となり、YDS系の最後を飾った。