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1980年代、アフリカを舞台にしたダカールラリーを夢見た少年たちが、 40年の時を経て憧れの土地を目指す。 Africa Twin Morocco Epic Tour──モロッコ王国に広がるサハラ砂漠西部を7日間で2000キロ走る アフリカツインのオーナーのためのプレミアムな旅を取材した。
●レポート : 春木久史 ●写真 : Francesc Montero Photography, BIG TANK ●協力 : Honda, Ride Africa Twin,Japex.net
世界中のファンが待ち焦がれた復活。前代の生産終了から実に17年という時を経て、ニューモデル、CRF1000Lアフリカツインが登場したのが2016年だ。2018年には「L2」と通称される正常進化型、そしてビッグタンクと、強化されたサスペンションを備えたAdventure Sportsという派生バージョンもデビュー。しばらくはBMW GSシリーズの独壇場と言っても過言ではない状況が続いていたアドベンチャーバイクのマーケットに「GAME CHANGER」としてセンセーションを巻き起こし、現在も大きな存在感を示している。
アフリカツインの故郷が、1980年代のパリ・ダカールラリーにあるということに異論を唱える人は少ないだろう。もちろん日本のバイクである。だが、そのコンセプト、魂の起源はサハラにある。Vツインエンジンを搭載した砂漠のファクトリーレーサー、ホンダNXRは、BMWやヤマハといったライバルたちと戦う数々の伝説を残し、そして市販車アフリカツイン(XRV)を生み出す。日本でも人気モデルとなったアフリカツインだったが、欧州ではパリ・ダカ人気とともにまた違った熱量を持って支持された。だからホンダの開発陣は、17年間というアフリカツインにとっての空白の時間、常に「次のアフリカツインの発売はいつなんだ?」という欧州のファンの期待にさらされていたのである。
それだけ、アフリカツインと、かつてのパリ・ダカとの関連は深いのだ。このEPIC TOURというイベントが、北アフリカ、サハラの西部で行われるというのも、もちろんその「伝説」とつながっている。2008年、開催地の政情不安を理由に中止されたことで、パリ・ダカのアフリカ時代は終了。翌2009年から「ダカール」の舞台は南米に移転するのだが、それ以前は、必ずモロッコがラリーにとってメインのステージになっていた。アフリカツイン、またパリ・ダカになんらかの憧憬を抱く者にとって、モロッコというのはまさに「憧れの地」なのである。
昨年2017年に第1回が開催されたEPIC TOUR、その2回目には50名という参加枠に対して、200名以上の参加申し込みがあったということが、そのことを裏付けている。参加者は、すべてCRF1000Lのオーナーだ。7割がスペイン、2割が隣のポルトガルから、残りの少しがイタリア人。一般参加枠の他に、プレス(報道関係者)の参加があり、僕はそのうちの一人。CRF1000Lの開発に中心的に携わり、現在はモンテッサホンダ(ホンダスペイン)に勤務する工藤哲也さんが諸々のアレンジをしてくれた。「日本のファンに、ぜひこの素晴らしいツアーを紹介したい」という工藤さんは、バルセロナ在住。アパートメントの地下にあるガレージには、自ら開発に携わったCRF1000Lがあり、週末毎に郊外のワインディングやダートを楽しむアフリカツイン乗りだ。
昨年は、バルセロナをスタートし、フェリーでモロッコに渡ったというツアーだが、今年は、モロッコのフェズという街にスタート会場が置かれた。僕はバルセロナから他の参加者や主催者のスタッフと同じ便で空路、フェズに飛ぶことになった。
モロッコは初めてである。「アフリカは初めてか? モロッコは?」と、他の参加者たちと挨拶をするたびに、まず話題になるのはそのことだ。大体、みんなモロッコは初めてのようだ。日本に住む我々よりはずっと近いとは言え、やはり憧れの地なのだろう。僕はというと、以前エジプトで行われていたファラオラリーというのに出場したことがあるのでアフリカ大陸は2度目だが、モロッコは初めてだ。エジプトも2000年にダカールの舞台になったことがあるが、あれはレアケースだった。やはりメインのステージであるサハラ西部への憧れは強く、きっとそれは他の参加者たちと同じだ。
フェズの空港まではバルセロナからわずか2時間だった。そこからシャトルバスで、スタート会場のホテルに向かう。町並みは想像を遥かに超えて近代的で、経済的な豊かさも感じる。砂漠の国、という思い込みが、自分の中に絵本のような風景を作り出していたのだ、ということに気づき、おかしくなる。ホテルの前庭には、すでに海路、カミオン(トラック)で運ばれていた参加者たちのアフリカツインが整然と並べてられて待っていた。一般参加者のバイクが50台、そしてプレス参加などを併せて65台のCRF1000Lたちだ。
そう、200名を超える参加希望者を、定員の50名に絞るためには、抽選という方法がとられたそうだ。抽選を外部に委託したのは、ホンダがなんらかの手心を加えるのではないか、と疑惑を持たれないようにするためだ。それだけ期待の大きいイベントだということだ。フェズに集まった参加者たちは、だからこんなにも笑顔なのだ!
ツアーは、目的別、技量別に6つのグループに分かれて走る。上級者のグループはなるべくダート区間をたくさん、中級者ではほどほど、それほど自信の無いグループでは、半分ぐらいは舗装路で、という感じだ。それぞれのグループにベテランのガイドがついて、さらに最後尾をサポートカーが走る。
1日300〜400キロほど。7日間で約2000キロというのはなかなかのボリュームで、ちょっとしたラリーと変わらない。しかも比較的軽量なラリーバイクで走るのではなく、バリバリのアドベンチャーバイクである。
CRF1000Lには、前後にダンロップのラリータイヤが装着されている。それが示しているのは、「これからどんなところを走るのか」ということだが、それはまさしく「その通りだった」ということが、次第にわかってくる……。
初日は、フェズからミデルトまでの約350キロ。フェズの郊外に出るとすぐに山岳ワインディングロード。アトラス山脈の山懐に入ったところで、ダートが始まった。アフリカツインにとってはかなりタイトな道で、北海道の林道のような感じだ。ガイドのペースはかなり速く、僕はすでにかなり必死のライディングモード。
想像していたよりも、緑が豊かなアトラス山脈を越えて南側に下りると、徐々に乾燥した風景になってきた。
ランチタイムを挟んで、ルートの終盤は舗装路を150キロほど移動。最後は夕暮れになった。日中は山を下りてから30℃近くと暑かったが、日没すると風が冷たい。ジャケットにはベンチレーションがついているが、参加者はお互いにファスナーを閉めるのを手伝った。
暗くなると、なぜだか道程が長く感じられる。砂漠の中の一本道に、ホテルの明かりが見えてくるとホッとした。すでに半分以上のライダーが到着していて、主催者のメカニックたちが、投光器の下で整備を行っている。その様子は、ラリーのビバークそのものだ。
初日にして、けっこうハードだなあ、という印象だ。初めて走ったアトラス山脈の風景、道の感触を反芻しながら、少し柔ら過ぎるベッドで眠りに落ちた。(後編に続く)