■文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
加賀山就臣とは、いったい何者なのだろう。
バイクが好きで、やりたいことはレースだけで、どんなに酷い怪我を負っても「命があったら、悔いのないように生きよう。やりたいことをやろう」と決めた男なのだ。
JSB1000を走り、鈴鹿8耐を盛り上げ、そしてテイスト・オブ・ツクバにも挑む。
ユッキー、44歳の挑戦が止まらない。
『Team KAGAYAMA』のオーナー兼ライダーの加賀山就臣が『テイスト・オブ・ツクバ』(T.O.T)に初参戦、初優勝を飾りました。
スズキのカタナをベースとして鉄フレームにGSX-R1000(L5)系エンジン搭載仕様で、T.O.T最高峰のハーキュリーズクラスに挑戦したのです。4台の激しいバトルを制した加賀山は、表彰台の真ん中で「こんな魅力的なレースを継続してくれた関係者、全てに感謝、新参者の自分を受け入れてくれて、走らせてくれてありがとう」と叫びました。
2位の4連覇を目指した新庄雅浩(ZRX1200S)、3位のT.O.Tレジェンドと言える松田光市(GPZ1000RX)を従えての表彰台でした。
カタナを駆り『テイスト・オブ・ツクバ』(T.O.T)に初挑戦! ハーキュリーズクラスの常連組と激しいバトルを演じ、観客も大盛り上がり。 |
T.O.Tは、世界的な盛り上がりを見せている80’Sビンテージレース。次々と革新的なアイディアが盛り込まれたバイクが世に登場しバイクブームが起き、レースシーンでも日本の4メーカーが勢いを持って世界を席巻し始めた1980年代。ワクワクと胸を高鳴らせた“かつての少年たち”が、古き良き時代の面影を求め、今を謳歌するレースはバイク好きのお祭り。エントリー数が約250台、12クラスに分けられ、2日間で8000人を集めました。
旧車たちが、現役でサーキットを疾走する姿に、ちょっと、タイムスリップしてしまったような不思議な感覚を覚えるT.O.Tを、加賀山は2年前に訪れ「旧車で、こんなスピードで走っているなんて」と驚くのです。その時から、いつか参加したいと思うようになります。それでも、加賀山は日本最高峰の全日本ロードレース選手権JSB1000、真夏の祭典と呼ばれるビッグレース鈴鹿8時間耐久参戦、更にアジアロードレース選手権で登竜門レースである『アジアンチャレンジ』をプロデュースと多忙を極めていました。なかなか、それを実行に移せずにいたのですが、今年、その願いを叶えたのです。
「参戦するならスズキのカタナでと決めていました」。チーフメカニックの斉藤雅彦がマシンを設計、メカニックの野口裕一がマシンを製作。今年の3月にシェイクダウン。
出来上がったマシンを前に「真っ直ぐ走るのか?」と3人は不安を抱えながらの船出でしたが、マシンは走り、止まり、曲がるというバイク本来の動きを示し、エンジンも快調。鉄フレームの感覚も楽しく、斉藤、野口両氏の技術力の高さを再認識するのです。その後、筑波を2度テストしただけでレースウイークを迎えました。チームの目標は「出来れば表彰台」というもの。
戦うならカタナ、と決めていたと言う。チーフメカニックの斉藤雅彦さん(写真右)とメカニックの野口裕一さん(写真左)がマシンを作り上げた。 | ハーキュリーズクラスは20台が出走した。スタート前の撮影では、みんな笑顔なのだが……。 |
ポールポジションは國川浩道(HONKI)で58秒335。加賀山が58秒520と58秒台に入れます。全日本最高峰クラスJSB1000は2013年を最後に筑波戦はカレンダーから消えたのですが、その時のポールポジションタイムが56秒160、加賀山は56秒743で5番手でした。一概に比べることはできませんが、旧車で、このタイムは驚きの速さです。そのスピードを記録するマシンに仕上げている人々の愛情に、グッと心を掴まれながら、予選結果を見ると20台参加の内9台が1分を切っているのですから、大バトルの予感がしていました。
新庄選手、松田選手、國川選手などハーキュリーズクラスの常連達を退けての見事な優勝だった。 |
スタート前にライダーが集まり集合写真を撮るなど和気あいあいの雰囲気ですが、レースは激しく、加賀山は6番手と出遅れ、2番手に上がりトップを走る國川選手をマーク。加賀山は1コーナー、第2ヘアピン、最終コーナーと仕掛けます。そして、残り2周で國川選手がスローダウン。トップに立った加賀山ですが、最終ラップの第2ヘアピンでは、新庄がブレーキング勝負を仕掛け、クロスラインで加賀山が前に出てトップでチェッカー。初参戦のT.O.Tで初優勝を飾るのです。
新庄は「レースを始めたきっかけが加賀山さんでした。憧れのライダーと走ることが出来て嬉しかったが、やっぱり悔しい」と肩を落とし、松田は「夕べは眠れず頭の中で200周くらい筑波を走った」という本気の勝負でした。レース前は、マシンに注目が集まっていましたが、レース後にはサインを求める人も増え、加賀山の勝利を祝福するように空は青く澄んで、爽やかな風が吹いていました。
44歳の現役ライダーは人気者だ。8000人の観客から祝福された。 |
1974年、横浜市で生まれた加賀山は、バイク好きの兄の後を追い、横浜でミニバイクレースを始め、15歳(1990年)でレース参加。その才能がスズキの目に留まり、テストライダーとしてスタートを切りました。さまざまなマシンのテストをこなし、全日本ロードに参戦を開始したのは1995年辺りからですが、よく転んでいて“クラッシュキング”と呼ばれていました。派手な転倒をしても怪我はなく、この頃から“鉄人”と呼ばれる資質を見せていたのです。ロードレース世界選手権やスーパーバイク世界選手権(SBK)へのスポット参戦をこなすなど、多くの経験を積みます。それでもライダーとしての危機がなかったわけではなく、1999年ライダー生命を賭け全日本最終戦に挑み、凱旋ライダーたちと勝負して力を示したことで首を繋ぐのです。
2003年からブリティッシュスーパーバイク選手権(BSB)へ参戦開始しました。
「BSB開催サーキットは、ここはモトクロス場かと思う悪路で、本当にこんなところでレースするの? という状況だったが、やってやろうと開き直った」
加賀山は技術も度胸もいる戦いで、難なく勝利を挙げるのです。東洋から来た侍ライダーにイギリスのファンは熱狂、加賀山はスターライダーとなりました。そして迎えたキャドエルパークで、もらい事故で大怪我を追い、生死の境をさまようのです。
「命があったら、悔いのないように生きよう。やりたいことをやろう」
と誓う加賀山でしたが、再起不能説も流れ、ファンをヤキモキさせながら、闘病生活を続け、人工肛門を付けて復帰します。
加賀山にとって「やりたいこと」はレースしかなく、2004年BSBに戻るのです。復帰しただけでも奇跡的なのに、悪夢のキャドエルで加賀山は劇的勝利を飾り、事故現場で派手なバーンアウトで観客の大声援に応えました。
その強靭さが加賀山の魅力、それを支えているのはバイクへの熱い思いに他なりません。その後、SBKで活躍、ガァガァガァ~、ギィギィギィーと劇画の効果音が聞こえてきそうな豪快な走りでファンを惹きつけ、ハイサイドで大きく投げ飛ばされ宙を飛ぶ姿が、1番高く舞ったと話題を振りまく人気ライダーとして活躍。生死を彷徨うほどの怪我を経験した後も、闘争心に陰りはなく、思いっきり転倒してしまう加賀山は、怪我からの復帰が早いことで“鉄人”や“サイボーグ”と呼ばれ、その呼び名がいつしか定着しました。
「命があったら、悔いのないように生きよう。やりたいことをやろう」──加賀山は走り続けている。 |
「日本のファンに忘れられたくない」と2006年全日本最終戦鈴鹿にスポット参戦。現在のチームカガヤマの基礎となるチームを結成し、ここでも劇的勝利を飾ります。鈴鹿8時間耐久にヨシムラから参戦した2007年、ホンダの連勝記録をストップさせ、ヨシムラに27年ぶりの優勝をプレゼントするなど、加賀山の勝利はいつもドラマチックです。
2011年帰国、正式にチームカガヤマを発足させ、全日本ロードに挑みました。2013年から鈴鹿8耐にもエントリー。芳賀紀行、ケビン・シュワンツ、清成龍一など、ファンが驚くラインナップで参戦し3年連続3位と表彰台に登る活躍を示します。全日本では2015年に浦本修充を加入させJ-GP2チャンピオンを獲得。今季、育成プログラムとして浦本はスペイン選手権に武者修行に送り出し、全日本は加賀山が戦い、イタリア人ライダーを走らせるなど、加賀山の世界戦略が続いています。
アグレッシブなその走りは、世界中のファンを魅了する。 |
そして、加賀山が願うのは「モータースポーツの社会的認知の向上」です。その取り組みとして8年前から横浜元町商店街で開催される『元町安全安心パレード』に参加を続けています。ゴールデンウイークに開催されるイベントで、今年は1日警察署長・小田えりな(AKB48チーム8 神奈川県代表“チームK兼任”)1日消防署長・田山寛豪(元トライアスロン日本代表)、1日SS会理事長・北原照久(ブリキのおもちゃ博物館 館長)や白バイとパレードを行いました。バッグのキタムラ本店前ではバイクを展示、撮影に応じるなど交流、オリジナルポケットバイクの74Daijiroを使って試乗会も行いました。今年は、J-GP3で活躍する岡崎静夏とST600の亀井駿が講師でした。初めてバイクに触れる子供たちが、15分の試乗でバイクを操れるようになり、見守る人々から拍手が起きます。得意満面の子供たちの笑顔があふれるのです。
モータースポーツの社会的認知向上するため、8年前から『元町安全安心パレード』に参加している。 |
1日警察署長・小田えりな(AKB48チーム8 神奈川県代表“チームK兼任”)もパレードに登場。また、J-GP3で活躍する岡崎静夏とST600の亀井駿が講師となり、74Daijiroのキッズ試乗会も開催された。 |
「横浜で生まれ育った自分が、まず、その地元からモータースポーツを発信して行きたいという思いを汲んでもらっている。バイク乗りとして交通安全を願うのは当然のことで、それをアピール出来ることもありがたい」
加賀山はこう語ります。
全日本ロードにチームを組織して参戦、トップスピードは300km/hを超えるモンスターマシンを操り、転戦しているだけでもたいへんなことなのに、そこに留まらず多くの人を巻き込みながらモータースポーツの魅力を拡散している加賀山が、T.O.Tに参戦し、新たな扉を開きました。加賀山は、44歳になった今も、バイクを乗り始めた頃と変わらない情熱を燃やし挑戦し続けているのです。