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自動二輪免許に中型限定が設定された1975年の免許制度改正で、注目を集めたのは中型限定の上限となった400ccクラス。大型二輪免許が比較的簡単に取得できるようになる1995年まで、国内二輪市場の中核として日本独自の二輪文化を育んでいく。1970年代まで250クラスのスポーツモデルの多くは、400と同構成の車体にボアダウンしたエンジンを搭載した、400の廉価版という扱いであった。 バイクブームが加速していく中で、車検がなく税金も安い250に注目が集まり、1970年代後半には250専用設計のRG250やZ250FTが登場、400のお下がりではない250として人気を博した。
1980年になるとRZ250やGSX250E、CB250RSなど専用設計の250スポーツモデルが次々に登場。400キラーと呼ばれた高性能なRZ、スタイルこそ400と同じだがDOHC4バルブエンジンのGSX-E、ひらり感と呼ばれた軽快な単気筒スポーツのCB250RSという新世代の誕生で、250新時代が幕を上げた。 1982年にはRZの対抗馬として水冷VツインエンジンのVT250Fが登場、大ブームを巻き起こし250人気を不動のものとした。250市場はヒートアップし、誰しもが「次は4気筒」と期待は高まった。
250cc4気筒車(以下Quarter4気筒を略してQ4と記す)誕生前夜、1982年のラインアップといえば、RZの対抗馬として登場したホンダVT250Fが、ベテランから初心者まで幅広い層に支持され爆発的な人気となった。ヤマハは勢いに陰りが見え始めたRZ250と、DOHCの新エンジンでモデルチェンジを行ったXS250、スズキはスタイリングを変更して刀イメージとしたGSX250E、そして当時は現在よりも、もっと重量車オンリーイメージの強かったカワサキも、Z250FTの改良を行い、急激に旺盛となった250需要に対応していた。
明けて1983年2月1日、ホンダ初の2スト250スポーツモデルMVX250Fと、RZの正常進化版RZ250Rが、同月20日は本格的なレーサーレプリカRG250ガンマが相次いで登場。2スト250ウォーズ元年ともいうべき年で、当然250の話題は2ストスポーツモデルがメインになっていた。 そんな状況下の3月、ついに国産市販車初のQ4モデル、GS250FWがスズキから登場した。Q4モデルの市販車は、イタリアのベネリ社が1975年に発表し1977年に販売したベネリ254クワトロがすでに存在していたが、水冷DOHCエンジンのQ4市販車となると世界初の快挙であった。アンチノーズダイブシステム、フルフローターサス、16インチホイールなどの最新装備に、フレームはアルミにも見えるが角断面のスチール。GSX250Eの29psから大幅にパワーアップし4スト250ではクラス最高の36psであった。 しかし、本格的なレーサーレプリカスタイルで、アルミフレームのRG250ガンマの45psはインパクトが強烈で、さらに4スト人気一番のVT250Fのトルクフルでパンチのある動力性能に比べると「音とタコメーターの針が先に行く」と言われる加速力の鈍さも喧伝され、話題の割に販売は伸びなかった。対策とし翌年2psのパワーアップが図られたが、一度ついてしまったイメージを覆すことは難しく、また時代の中心がレーサーレプリカスタイルへと大きく舵を切っており、Q4は肝心なスタートでつまずいてしまったと言えようか。