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京急の平和島駅には、もちろんビッグファン平和島と平和島競艇の広告があります。あの競艇のテレビコマーシャル、結構長いスパンでやっていますが、なかなか真意がつかめません。「あれは、F返還だろ、なぁにいちゃん」と、外した船券をアテにワンカップをちびりちびりの筋金入りのおっちゃん、どう思いますか?(2016年3月撮影) | ||
とはいえ、静かなリゾート地を思い浮かべてもらっては困惑します。赤い弾丸こと京急の快特は120km/hでぶっ飛んできます。第一京浜と環七が交わる交通の要所(と書いて、渋滞地点と読む)で、トラックターミナルや流通センターもありますから、大型トラックやトレーラーがぶんぶん走っています。さらに24時間いつでも赤ら顔のおっちゃんもうろうろ。トレーラーもおっちゃんもぶつかると危険きわまりないので、歩きスマホなんてもってのほかです。 |
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平和島駅の列車接近メロディーは「ばばんばばんばんばん♪」でおなじみ「いい湯だな」です。ドリフバージョンではなくデューク・エイセスバージョンだそうです。なにが違うんでしょ?(2016年3月撮影)ここで見られない方は直接https://youtu.be/S7b4de7xRC4でどうぞ。たいした動画じゃないんですよ。 | ||
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元祖振り子式電車、国鉄時代の381系しなのです。名古屋と長野を中央本線経由で結んでいます。現在は383系のワイドビューしなのに進化しました。(1978年・2009年8月撮影) | 国鉄時代の183系あさまです。上野-長野間を信越本線経由で結んでいました。現在は新幹線に出世しE2やE7系になりました。われながらいかんともしがたいへたくそ写真です。あの頃に戻って叱りつけてやりたくなります。(1979年・2008年1月撮影) | |
平和島駅では「あさま」と「しなの」という立喰・ソが(平和島にあるお店、正確には漢字表記で「信濃路」なのですが、ここはひとつ穏便に)改札を出て、右と左に存在するのです。すごいですね〜! |
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改札を出て右に行くと24時間営業の信濃路(現役店ですが伏せ字にすると話にならないので。ええ、そうです。いつものご都合主義ですとも)。半分は立喰・ソ、半分は飲み屋に見えますが、中はいっしょで朝も昼も夜もおっちゃんたちがいい感じでメートル上げています。一見さんに敷居が高そうですが、店員さんはフレンドリーで、入ってしまえば朝から天国です。(2016年3月撮影) | 左に行けば今回の主役であるあさまがありました。全ボタン使用(8×8=64!)の券売機がでーん。そば、うどん、きしめんとボタンが分かれているのではない(例えばかき揚げならば2番のかき揚げそば・うどん・きしめんの券を買い、カウンターで自己申告)のにこの多さですから迷って当たり前。予習なしで前に立ち、後ろに並ばれるとパニックで適当にボタンを押してしまう人数知れず(未確認)。迷わずボタンを押せるのは間違いなくA級の常連さんです。(2016年3月撮影) | |
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最近、閉店の貼り紙を目にすることが多くなってきたような気がします。大将は「もういい歳だしさ、ここらが潮時かなって。なかなか人も見つからないし……」とおっしゃっていました。あさまの終焉も他のあまたのごとく、大将の高齢化、建物の老朽化と後継者不足です。(2016年1月撮影) | 右手商店街を入ったところにもう一軒、泉川という立喰・ソもあったのですが、2013年頃幻立喰・ソになってしまいました。おいなりさんや太巻きなどのお持ち帰りと、立ち飲みもやっているハイブリッド型でした。寡黙な大将と、メニューにないつまみをオーダーする常連のおっちゃんの波状攻撃で敷居高めでした。(2010年10月撮影) | |
あさまにはカウンターが2つあります。食○ログだかに「1塁側」「3塁側」という、うまいこと言わはるわぁ〜の表現がありましたが、パクるのもなんですから粋な船乗りを気取ってスターボード(右舷)、ポート(左舷)にしようかと思いましたが、どっちがどっちかわからなくなるに決まっていますからふつうに右、左にします。左右のカウンターは秘密の通路(秘密ではないのですがそう呼びたくなる雰囲気)で繋がっています。が、通り抜ける人は見たことがありません。逆向き配置のミニカウンターもあるのですが、ここで食べている人も見たことはありません。なんとなく常連さん専用みたいな雰囲気ですし、出入りに苦労しそうですし。 |
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左カウンターから見た秘密の通路側。左カウンターは詰めても5人くらいで限界。(2016年3月撮影) | 右カウンターの風景。こちら側は詰めればなんとか10人くらいは入れそう。(2016年3月撮影) | |
厨房内は、秘密の通路前に大きな茹で釜、左カウンターの左壁面に流し台。センターに天ぷらや食材の棚という配置。大将が主に左、もう1人が右カウンター前が定位置とお見受けしました。オーダーを受けるとあうんの呼吸で次々に作り上げていくその姿はまさに立喰・ソ職人。このお二人、兄弟か親戚かと思っていましたが、最後の最後にうかがったところ「いやいや、ぜんぜん関係ないよ。ただの他人だよ」とのことでした。おばちゃんがいるという情報もありますが、時間帯が違うようで残念ながら出会ったことがありません。 |
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左カウンターからみた厨房。左側に洗い場、右手前に大釜、真ん中に天ぷらや食材やどんぶりの棚が無駄なく配置されております。(2016年3月撮影) | 右カウンターから見た秘密の通路。券売機は店内にもう一台ある。ささっと入って先にオーダーしてからここで券を買うのはS級常連さん。(2016年3月撮影) | |
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きしめんがラインアップされていたのもあさまの特徴のひとつ。関東では少数派でしょう。もちろんおつゆはきしめん専用。隠れファン多し。カレーきしめんというレアなアイテムもありました。(2016年3月撮影) | カレーライス350円も名物でした。カツカレーでも550円と激安。業務用かと思いますが、ごろんとにんじんが入っていてマイルドな、どこかなつかしい味でした。銀の皿もたまりません。(2016年3月撮影) | |
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35年も続いた生え抜き関東立喰・ソですから、正統派関東風の真っ黒でしょうゆ辛いおつゆかと思えばさにあらず。とってもやさしいまろやかなおつゆに、各種自家製天ぷらががよく合いました。思い出すとよだれが。(2016年3月撮影) | 天丼、牛丼、肉なん丼などどんぶりものもボリュームがあってリーズナブルでした。最後にいただいたのは、かつ丼とそういえば食べた記憶がないうどんのセットになす天をトッピング。やっぱりソも食べておけばよかったと、今さらちょっと後悔中。(2016年3月撮影) | |
昨今は昭和40年代に創業した老舗立喰・ソが、ばたばたばたと幻立喰・ソになっているように感じます。働き盛りの20〜30代に独立創業したとするとすでに70〜80歳になられるわけです。一日中立ちっぱなし、出入りの激しい客商売ですから、たとえ扉があっても夏は暑く冬は寒い。水を使う仕事ですから冬の寒さはひとしおです。さらに、頭の弱いお客やら、めんどくさいお客もいることでしょう。深夜営業だったりすると、呑んだ後のシメの一杯に泥酔客もやって来ます。おとなしくソをすすって帰ってくれればいいのですが、暴れたり、寝込んだり、小間物屋を開店したりという輩も少なくないようです。まだ暗いうちから仕込みをして、例え早めに店じまいをしたとしても、片付けやら掃除やら帳簿付けやら仕入れやらと、店に立つ以外の仕事も山ほどあります。これを一杯数十円の薄利で、毎日毎日繰り返すのは肉体的にも精神的にもタフでないと勤まらない重労働なのです。昭和のおやっさんはタフな男たちなのです。 |
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お願いして一枚撮らせていただきました。35年間おつかれさまでした。おいしいソありがとうございました!どうぞお元気で!(2016年3月撮影) | カウンターの常連らしいおっちゃんは「今日はやけに混んでるねえ」とのんきに入って来きたら大将に「今日で終わりだから」と告げられ、びっくりしておりました。当たり前にいつまでもあると思っていたものが突然なくなる。諸行無常です……(2016年3月撮影) |
●立喰・ソNEWS 2016 こともあろうか、私のニセ者弟子が出現したようです。新日本橋に移転したおか田に、「わたくし坂崎師匠の弟子でございます。平松さんは姉弟子に当たります」と語る人物が現れたそうです。弟子を語って天ぷらをせしめようとしたわけではないようですが、「こんなことを言うのはあやつに違いない」と、師匠から私に照会があったわけです。いやいや、師匠、そんな大それたこと言うわけないじゃないですか(すでに第56回の冒頭で言ってます)と、必死に弁明しました。しかし、いったい誰でしょう? 真相は藪中、といいますか、人徳と知識のかき揚げである師匠ですから自称弟子はごまんと、いや、ろくまん、ななまん、いてもちっーとも不思議ではありません。まあ、そもそも、私自身がニセ弟子なんですがね。 |
バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。現在800店以上のデータを収集したものの、ただ行って食べるだけで、たいして役に立たない。立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。